Cihugong Palace
 
 
 

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金包里慈護宮は“金包里媽祖廟”でも呼ばれております。
 
 
清の時代に、台湾に渡り開墾した当初、先民が“金面媽祖”を招待して地元有力者たちがお金を集めて廟を完成させて信仰の中心となります。清家慶年、ある“媽祖“が野柳海岸洞窟までにまで漂流してきた、その洞窟が”媽祖洞”と呼ばれるようになった。漁民に発見されて、近くで崇拝することになった。そして“金面媽祖”は不思議な現象が続いた、漁船の安全などが“航海守護神”の表れだと信じ始めました。そして漁民は海岸で廟を建て、媽祖のご指示で金包里街で建てました。当時地元の黄士進氏が土地を提供し、地元有力者がお金を集め、廟を建てた。嘉慶十四年に“天后宮”と命名され、更に開基金面大媽と野柳迎回媽祖神尊を同時に廟に招かれた。その後“金面二媽”となって、信徒が増えました。更に“慈護宮“に改名した。
 
 
 
同治六年十一月に淡北大地震,廟建物が倒壊した。同治十二年に本来の建物を再建した、光緒二十七年に増築し、金包里の全人口の力を全出動した。下庄(今石門鄉東 部)左廡を担当し、中庄(今金山鄉) 前殿を担当し、頂庄(今萬里鄉) 右廡を担当した。民國二十四年,金山庄役場が募金を開始、閩南式宮殿に修繕した、六十五年兩廡を鐘鼓樓に修繕した。民國七十年十月に法人を設立し、「財團法人台灣省台北縣金包里慈 護宮」、民國七十六年に聖母大殿を建設した。全体の建物は台湾北海岸地區で最も神聖な場所となりました。
 
 
 
 
 
 
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